どちらかといえば私事
2018/03/09

おつかれさん。ありがとね。

 

 

 

 

昨月、2月26日午後16時18分に取締役会長であった父が亡くなりました。

 

脳出血の後遺症が死因です。

 

8年3カ月の闘病生活でした。

 

言葉も失い、ほとんど意思の疎通ができない状態で長い間頑張ったと思います。

 

 

 

彼は酒とたばこが大好きで、止めるぐらいなら死んだ方がましだと言って

止めませんでした。

 

結果、糖尿病と高血圧から脳出血。

 

足腰が弱っていましたので、健康維持のためにプールに行き始めたのですが、

糖尿高血圧のくせにプール後のお酒をおいしく飲むために水も飲まずに運動

していたことが致命的だったと思われます。

 

自業自得。

 

もうアホですね。

 

結果、逆に長い間禁酒禁煙を強いられました。

 

でも父らしいなとも思います。

 

 

 

 

 

リーマンショック後に私が父親に高給取りは退いてくれと頼み、社長を

引き継いでから半年経たずに倒れました。

 

ですから最初は、私のせいかと自分を責めたこともありました。

 

自分勝手でやんちゃ。

 

でもお人好しでお茶目な人でした。

 

清水の次郎長に憧れる人情家でもありました。

 

母親はさぞかし大変だったでしょう。

 

喧嘩ばかりしていましたから。

 

私が仲裁することもしばしばありました。

 

しかし、私もなんだかんだ言っても親父を尊敬しておりましたので、結局

自由人で自分勝手なところまで似てしまいました。

 

私の妻も苦労していることかと思います。

 

 

 

 

 

両親はあんなに毎日のように喧嘩していたわけですが、母は完全看護の

病院にも関わらず毎日父のもとに通いました。

 

そんな人は病院内に一人もいませんでした。

 

私は二人の間に生まれて幸せです。

 

感謝しています。

 

 

 

 

 

 

 

昨年末に私は本を出版しました。

 

タイトルは「何もしないリーダーのみんなが疲れないマネジメント」。

 

あの本、実は父親へのオマージュでもあります。

 

私が経営者になってから経験し、いろいろと勉強して行きついた先が、

何もしないリーダー像、つまり従業員をコントロールしないことで

自立型の社員を生み出すマネジメントです。

 

私はそれなりに勉強したのですが、結果行きついた先が親父のやって

いたことでした。

 

こんなことを言ってはなんですが、親父は勉強してたどり着いたとは

思えませんので、彼は天然でそのスタイルを確立していたわけです。

 

天然でやっていましたので少し軌道がブレると修正することができません。

 

そんな時期もありました。

 

それから、あまりに何もしなさ過ぎた(笑)。

 

ですから私自身、親父に対して反発したこともありました。

 

 

 

思えば、私がホウキンに入社したのも、少しでも会社を発展させようと

思ってきたことも、親父に褒められたいと思ったからだと今になって感じます。

 

私は一度も会社を継げと言われたこともありませんでしたし、むしろ、

おまえの好きなように生きろと子供のころから言われていました。

 

そんな自由な環境の中で、彼がつくり出した最大の産物が私。

 

 

 

 

先日鏡の中に親父を見つけてしまいました。

 

びっくりしたと同時にがっくり(笑)。

 

年々そっくりになっているのが微妙です・・・。

 

でも私の中にいつもいるんだなと思うと寂しくなくて済みます。

 

 

 

 

親父、後は任せておけ。

 

安心して天国で見ていておくれ。

 

長い間お疲れさん。

 

しばしのお別れ。

 

また一緒に酒呑もう。