【7世代先を考える】
中小企業庁の調べによると、日本の企業の99%
は中小企業である
そのうちのほとんどは同族企業であり、さらに
約70%がオーナー企業である
そして、私は、コテコテのオーナー企業の
経営者である
オーナー会社のよいところは、オーナーの考え
が会社全体に反映されやすいため、速い決断や
一貫した方針がとれるところにある
ところが、その反面、オーナー依存の体質に
なると、オーナーがいないと決められないこと
が増える
だから、いないと困ることが増えてしまう
また、社長が一人で決めることが増えるので、
多くの意見を取り入れにくくなり、問題の修正
が難しくなる側面がある
平たく言えば、オーナーの権限が強く、逆らえ
ない、意見ができない、みたいなことが増える
オーナーが大株主であり、会社の持ち主である
から力は絶大
社長に気に入られなければ、会社にいられない
だから、ご機嫌伺い、忖度だらけのイエスマン
が増えていく可能性がある
オーナー企業では、朝令暮改が当たり前のよう
に起こる
企業の意思はオーナー経営者の意思とほぼ同じ
時に、幹部のコンセンサスをとる間もなく、
社長の独断で方針が突然決まる
「鶴の一声」というやつである
人事に関しても、社長の一言が大きく影響する
だから、社長の一存で、評価や処遇が決まる
ような理不尽なことがまかり通るケースは、
往々にして考えられる
以前、私がサラリーマンで営業を行っていた頃、
週一で営業会議があった
しかし、会議という名の説教&独演会だった
当時の番頭さんのワンマンショーが、長い時
には2時間ほど続くこともあった
朝からみんなげんなりである
この番頭さんは、私の父、つまり社長から多く
の権限を託され、大きな権力を持っていたため、
ほぼ彼の独裁体制となっていた感は否めない
そんな環境の中でサラリーマン時代を経験した
私は、理不尽な世界を目の当たりにした
だから、自分の実体験として経験したからこそ、
そうじゃない世界をつくりたいものだと考えて
きた
また、自立した社員を育てようと思った時、自分
が何でもかんでも決めてしまえば、社員が決め
られず、依存体質ができあがってしまう
だから、そこに不安があった
そして、社長が資本家で経営者だということを、
前面に出すと「会社=社長の家」みたいな感覚
を社員たちに持たれないだろうかという不安も
あった
他人の家に毎日お邪魔しますと入ってきて、肩身
の狭い思いをしないだろうか、居心地や働き心地
が悪くなるのではないかという恐れがあったので
ある
「みんなで一緒に」という取り組みは、そんな
状況に対して、鶴の一声や裸の王様の経営に
ならないように、自分に対する戒めでもあった
しかしである
最近になって気が付いてしまった
心の奥底に麻痺させていたオーナー社長の
エゴがあることに気が付いてしまったのだ
「みんなで一緒に」を掲げてはいるものの、
実は、そこに抵抗している自分に気が付いて
しまったのである
みんなで一緒にできないこともあるだろう…
責任はどうなるんだ?
そもそも、どこまで何を一緒に同じレベル感で
やれば良いんだ?
どうして、オーナー会社の良さでもある意思決
定のスピード感を遅くせねばならないのか…
経営者が遠慮や妥協で物事を進めることができ
ない状況があるのは、不健全ではないのか?
鶴の一声はしない、ちゃんと合意を取って進め
ていくと決めたものの、心のどこかでは、自分
が納得できていないことに目を背けて蓋をして
いたことに気が付いてしまったのである
どよーん…
どうしよう…
さてさて…
自分の心の奥底にあるものに気が付けたことは、
むしろ良いことだと思っている
エゴから生まれる無意識の言動と、意識的に
生み出している言動との間にギャップや矛盾が
起きてしまえば、現場に葛藤が起こってしまう
現場に問題が起こっているとするならば、この
ような矛盾が引き起こしている可能性が高い
だから、気が付けて良かった
とはいえ、このエゴとどのように向き合い、
付き合っていくのか
自分の中にあるものは、あるのだから隠して
抑えつけたところで仕方ない
まずは、認めるところからである
話はちょいと変わるが、そんなことを思って
いるとき、偶然、私は自分のルーツに触れる
機会を持つことができた
あるきっかけで、まだ小学校に通う前の幼い頃
の思い出が記憶の奥底から蘇った
優しい大好きな祖父・祖母から、私が後継ぎ
であることを伝えられ、そして、それを誇り
に思っていたこと
貧乏だったけど、自分が貧乏だなんて思った
ことは、一度も無かったこと
みんなからは頑固者で、どちらかといえば、
嫌われ者だった祖父だったけど、私にとっては
大好きなおじいちゃんだったこと
そして、何よりも早く大人になって会社に
入り、みんなと一緒に働きたいと思っていた
こと
そんな幼少期の頃の気持ちを思い出したの
だが、しかし同時に、会社を受け継ぐという
ことが、いつの間にやら責任が大きく、大変な
ことであるという、負担に代わってしまって
いることにも気付いてしまったのである
そうなってしまった大きな理由として、父から
の言葉の影響があることにも気が付いた
私の父親は、創業者である祖父の息子ではない
名字は変わっていないので、婿養子ではないが、
それに近いようなものではある
そして、会社を引き継いだものの、いろいろ
と意見の行き違いで祖父・祖母とはよく揉めて
いた
また、父の家系はみんな医者だが、父自身は
自分の好きな道を歩んだという自負があった
ようだ
そんなこともあってか、私に対しては会社を
継がなくて良い、おまえの好きな道を行きなさい
と常に言ってくれていた
しかし、私は非言語で、父親の私に継いで
ほしいという気持ちをヒシヒシと感じていた
のだ
つまり、本音と建前は違ったいたのである
だから、実際には自由などは感じることが
できず、父の本音と建前の間で揺れることに
なった
そして、いつからか、会社を継ぐということ
が子供の頃に純粋に感じていた感覚とは別の
ものになってしまっていたのである
創業者:石川兵作
兵を作ると書いて「ひょうさく」
戦争ではえらい人だったんだよね
しかし若い・・・ この写真何歳ぐらいだろ・・・
私は、私の子供たちに対しても同じように
思ってしまっていたことをやめようと思う
つまり、私も子供たちに対して、会社を
継ぐことは、子供やりたいこと以外のこと
であるという前提がデフォルトであったのだ
会社を継ぐことは、夢であり、誇りである
私は子供の頃、そう思っていた
だから、その夢を子供たちと共に描きたいと
思う
私の過去からの思い、これからの思い、それら
をシェアして世代を超えて同志として共働
できたらと考えるとワクワクしてくる
共に長く続く会社をつくっていきたい
もしも本当に自分たちがやりたい別の道が
あるのなら、それはそれでとても良いことだ
全力で応援しようと思う
どんなことでも一緒に夢は描ける
ネイティブアメリカンの古からの知恵、格言の
ひとつに、「七世代先を考えよ」というもの
がある
これは、自分が生きている現在から約500年後
の未来のことを指すようである
どんなことも7代先のことまで考えて決めな
ければならない
例えば1本の木を伐る時も、魚1匹捕るときも、
常に「7世代先の子孫のためになるか、困らないか」
という価値観を基準にする
また彼らは、大地は、先祖から譲り受けたのでは
なく、我々の子孫から借りているものだという
これらの教えは私に大きな示唆を与えてくれる
持続可能な社会をつくるため、彼らは古より
すでに大事なことを大事なこととして引き継ぎ、
今でいうところのSDGsな世界をつくろうと努め
てきた
次世代とは何だろう?
次の世代に事業を承継していくということに対して、
狭い関係性だけで物事をとらえることなく、
ご先祖様から子孫につないでいく大きなビジョン
を持ちたい
私の子供たちも社員たちも共に今をつくり、未来を
つくっていく同志だ
私は今、目が覚めた思いでいる
オーナー企業の社長としての誇りやプライドを
改めて取り戻し、持つことができたように感じて
いる
未来をつくるために、永く続く会社をつくるために、
「みんなで一緒に」オーナー社長としての責任を
果たしていく
つまり、改めて社長のトップダウンと社員のボトム
アップの融合を目指す
リーダーとして鶴の一声はしないが、トップ
ダウンは行う
私は私のトップとしての自覚とリーダーシップを
ちゃんと育んでいく
そして、永く続く会社をつくるために、自立した
社員を育てる
だから、オープンなコミュニケーションを心がけ、
もっと社員の意見や話を聴いていく
重要な決定の理由を社員に説明し、意思決定の
透明化を進めていく
社員に仕事を任せ、自主性を尊重するために
役割分担や責任を明確にしていく
そして、日々、自分の行動を振り返り、社員から
のフィードバックを受け入れ、社長である私自身
のリーダーシップの成長させていく
もう、遠慮などしない
そこには、妥協や迎合もしない
強く逞しく、7代先まで続く企業をつくるために
できることをリーダーとして行っていく次第で
ある